親の影響力
なにもかも嫌になると、見るもの出来事すべてマイナスに捉えてしまいます。
今日、なんだか苦手な子と話すのが昨日と比べてうまくいかなくてあれこれ考えてしまいました。
そこから、だんだん今まで気にならなかったことが気になってしまいネガティブ全開に・・・。
帰宅後、ご飯を食べてお風呂に入ってふと気付いたこと。
「あれ、この間買った新しいインナーがない・・・もしかして妹の洗濯物に紛れているかも?」
(うちの妹はしょっちゅう私の服などを気づかずにきています・・)
で、お風呂上りの夜中にに家族全員分の洗濯物が入ったカゴをあさりながらイライラしてきてしまいました。
「どうせ、わたしの洗濯物が見つからないっていっても、母親は名前を書いておかないやつが悪いっていって私のせいにするんだろうな。いつもそうだった。弟がわたしの車に車をぶつけた時だって私がそこに車を止めたから悪いといって私を責めた。妹が私のくつをどこかへ捨ててしまったときも、玄関に靴を置いていた私が悪いと言った。父親は、お金を出せばなんでも解決すると思っている人間。そのくせケチ。私の存在って弟妹にも劣る。私は弟妹に比べてちゃんと働いているのに!」
誰も私の味方をしてくれない。
イライラというか悲しくなってますますなにもかも嫌になりました。
私は愛されていない。
誰からも好かれない。
そう思ってどんどん嫌な気持ちに。
結果、下着は見つかりました。
見つかりはしたけれども、何歳になっても親にされた嫌なこと、傷ついたことはいつまでも心に残るんだなぁと。
いい年になっても、親に言われた辛辣な言葉は悲しく響きました。
簡単に、思い出せるんですよ。
してもらったよかったことなんて、思い出せないくらいに。
人間って、ポジティブなことよりネガティブのことのほうが記憶に残りやすいとたくさんの本に書いてありました。
それは生存本能からくる自衛みたいなものらしいです。
昔の狩猟時代の、死が身近だった時代の名残とのこと。
もちろん、毎日家事をしてくれてお弁当も作ってくれてありがたい。
けれども親の仕事って身の回りの世話をするだけじゃない。
もっと、親に甘えられるように子育てしてほしかった。
話を聞いてほしかった。
今更ですけどね。
違う親の元に生まれていたら、今の私はみんなのように明るい笑顔で過ごしていたのだろうか?
死ぬまでには私も、自分らしい生き方をして堂々と生きられるようになっていたいです。
今日は職場で、私は年下と話すのが本当に苦手なんだなぁ、向かないんだなぁと乗り越えられない壁のようなものを見つけてしまい打ちひしがれました。
余談ですが最近はできないことをできないんだなと、認めるのが早くなった気がします。
そんな感じで今日も一日お疲れさまでした。