出口はありますか?

幸せに暮らす方法を探したり考えたり見つけたり。ストレスをヌルっと回避できる技を身に着けたいアラフォー。自分軸を磨き自分の生き方、らしさを作りたいと思っています。

無職なのに浪費が止まらない

お金がない。

けれども働きたくない。

 

どうしよう。

 

なんかもう無職生活をエンジョイしていると、毎日決まった時間に出社して周りに愛想ふりまいて仕事をして帰るっていうのが無理っぽいと感じてしまう。

 

転職活動も、どう考えても給料とボーナス重視だし、そうすると業務内容も結構しんどいやつになるし各種お条件が多いところもあるでしょう?

 

さっき、申し込みしている会社から事前に適性検査するようにメールが来てやったんだけど全滅だよ。

 

なに?確率の問題とか、割合?約数ってなんだっけ?整数ってなんだっけ?こんなのアラフォーの私にとけるわけがない!というか日常生活でこんなんつかったことないわ!とじゃっかん切れ散らかしながら1時間近くパソコンに向かってやったし。

性格テストならぬものもやたし。

 

なんかもういいやーって感じで後半適当にクリックを連打。

 

 

転職ってこんなにめんどくさいんだ。最初からこんなにめんどくさいテストやらされるってことは、もし受かったあともものすんごいストレスかかる仕事にさらされるんじゃないの??と不安になり

 

落ちろ!!不採用!!

大丈夫だ、祈らなくても落ちてるさ。

 

 

 

こんなんやっているからいつまでも就職できないんやで。

 

でも、もうこのゆるゆる生活から抜け出せそうにない。

 

けれども、ネットでいい消費を見るとつい買ってしまう。そしてカードの支払いを見て驚くんだわい。

 

ついでにいうと、毎月カードの支払いが5万くらいだったのが、来月7万いく予定。

車の保険の更新だったりもあるけれども?それでも新しいローンを組んだり、習い事したりしてその引き落としが始まってしまったから。

 

 

車のローンを入れると、来月の支払いだけで10万円。

そこに滞納している国民年金を入れると14万くらい出ていく・・・。

 

やばい、と思いつつ全然焦っていない自分もやばい。

 

 

 

ブックサンタに参加してみました。

去年できなかった「ブックサンタ」に参加できました!

 

登録されている本屋に行って、どんな本を送るか悩むこと20分・・。

 

大体小学生の女の子に送ろうかなと思って探していたけれども

 

最近の子って、どんなかんじなの?

 

子供いない私にとっては、全く想像ができなくてこれでもないあれでもないと、子供向けコーナーをうろうろする羽目に。

 

で、結局選んだのはなぞなぞの本。

 

 

↑確かこんな感じのでした💦忘れちゃった。

 

果たして、これが誰の手に届くのか、これは男の子向けの本なんじゃなかろうか?とか考えたけど

 

「これをもらった子供は、この本に書いてあるなぞなぞを両親や、学校の友達に話して楽しんでくれるかもしれない。」

 

と、あったこともない子供の楽し気な未来を想像してこれにしました。

 

レジで精算して、ブックサンタにお願いしますといって本を渡して帰宅。

 

あまり実感がわかないボランティアだったけれども、去年できなかったことをできたし、やらないとわからないこともあるのでよかったかな。

 

来年もやるかどうかは考えます。

 

ちなみに参加するとこういうのがもらえます。↓

 

(ステッカーもあったんですけど、見つかりませんでした・・。)

 

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人間関係のゴールってどこなんだろう

 

今日も私は失敗したなぁと思って家で落ち込む。

 

あー、うまい返しが出来なかった、とか

あれってああいう意味で私に言ったんじゃない?気づかなかったー失敗💦もっと深く聞けばよかったとか

 

家族に対してはあまり思わないのに、他人に対してはそう思う。

友達に対してもあまり思わないかも。

 

 

嫌われた

好かれていない

 

これが、私の人間関係においての基準。

この嫌われた、好かれたって受け身なんだよね。

 

私が好き!嫌い!ではなくてね。

他人軸だよね。

 

この考え方がおかしいことがひとつ。

 

そして、私は毎日のように人間関係で嫌な思いをしてるけど、じゃあどうしたらゴールなの?満足するのだろうか?と思った。

 

みんなでご飯に行くくらい仲良くなりたいのか

雑談して心から楽しいと、感じられる関係なのか

私を必要として、ちやほやしてくれる関係が欲しいのか

必要最低限でいいのか(聞いたら答えてくれるぐらい)

全体的に、喧嘩もトラブルもなく付かず離れずでいいのか

アイコンタクト取れるくらいになりたいのか

全員に話しかけられるくらい人気者になりたいのか

 

さて、私はどれだろう。

どうしたら、家に帰ってきて、人間関係で落ち込まずにすむ?

 

今関わってる人達とは、半年後にお別れする人達。

短期でのお付き合い。

だから、そこまで深くなる必要は無い。

 

じゃあどの程度が私のゴールとして理想なのかな?

 

雑談しつつ、喧嘩やトラブルを起こさず、相手に不快な思いをしないぐらいの程度でよい位かもしれない。

 

要するに、トラブルを起こさない。

1日3人と、話をする。

笑顔を忘れない。

 

これを、私の目標にして、それ以外は気にしない。

相手の反応がどうあろうが、知らない。

関係ない。

相手の反応ありきだと、他人軸。

自分から話しかける。

 

私はやる事やってる!OK‼️

 

そんなスタンスで行こうと思う。

 

死ぬまで人間関係で苦しむらしいけど、昨日書いた通り残りの人生そんなに時間が無いので。

浅い人間関係とは、このくらいの距離でと自分の中で目標を立てる。

 

私が人間関係において、というか、人間とあまり関わりたくないので今はそれぐらい。

人間関係得意な人に、人間関係の問題は任せるよ。

うん。

コミュ上手い人に助けてもらおうっと。

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思ったより時間がなかった話

あと20年ある、なら大丈夫だとどこかでタカを括っていた。

 

65歳まで何とか働いていけば、老後もなんとかなるだろうと。

 

50歳まであと9年はあるから、もう少しのんびりとやることやらないでフラフラしてても大丈夫だろう。

真剣にならなくてもいいだろうと。

 

20年も9年もまだまだ先、そんな気で安心してた。

 

 

でも、これを日数にしたら残された時間はとても短いことに気づいてしまった。

 

25年は、365日をかけると9125日。

 

9年は、3285日。

 

ダラダラ過ごしていたら、あっという間にすぎていく時間で。

 

親に当てはめたらもっとゾッとした。

 

67の親が80まで生きるとしても13年ある。

でも、13年×365日=4745日。

 

80まで元気でちゃんと意思疎通取れるか分からないとなるともっとこれより短くなるんだろうな。

 

急に、親の死が現実のものに見えてきて不安になる。

 

私の将来には負債しかない。

 

弟妹2人、仕事もできないで家にいて、誰が養うんだろう?

 

まずは、私の残りの人生。思ったより少ないから、やることとやらない事の選別をしないといけないなぁと思う。

 

というか、選別しないと全てやれない。

 

私は、人に関わるのが本当に嫌で1人の方が楽。

でも、人に気を使わないと仲間はずれにされたり、孤立したり。

それが怖くて無理に頑張って人と付き合うようにしていたけれども、全く楽しくなくて。

むしろ嫌な思いをして。

頑張って話しても、どことなく嫌われたーって感じて家に帰ってモヤモヤして1日無駄にしたりしてた。

 

アニメやテレビ見てる方がよっぽど笑える。

1人で行動してる方が楽だし。

 

 

だから、それでいいんだなって思うことにした。

仲良くしなきゃ

協調性出さなきゃ

好かれないと

余計なこと言わないようにしないと

 

 

そんなの全部、捨ててしまおう。

興味のある人に、話しかけよう。

それでいいのだ。

言いたいこと言おう。

 

言わないで貯めて、死ぬ時ああ言えばよかったとか、腹を立てたくないもの。

 感じ悪い奴には二度と関わらないで

嫌いな奴とも関わらないで

合う人には自分から声掛けて

仕事先では一線引いて

笑いたい時笑って

具合悪かったら休んで寝る。

 

それでいい。

人間関係すーてよ‼️

 

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自己肯定感と自己受容

自己肯定感という言葉はたくさん聞くれども、自己受容という言葉はあまり聞きません。

 

ちまたでは、自己肯定感をあげるために、という情報があふれていますが実は自己受容のほうを先にした方が近道ではないかと思うのです。

 

なぜなら、私が自分らしく生きたいと思ったのは、自分のできないことを自覚したからなんです。

 

簡単に説明すると、自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定し、自分には価値があるんだと思える状態のこと。

 

一方、自己受容とは自分の長所や短所とちゃんと向き合い理解し受け入れている状態のこと。

 

なんだか、似ているようで似ていない。

自己受容の方がちょっと具体的な感じがしますよね。

 

私が自己肯定感をあげるのに時間がかかったのは、この自己受容・・自分の欠点・短所と向き合うことをしなかったからだと思うんです。

 

 

この、自己肯定感と自己受容の違いを知らなかったために、私はずいぶんと遠回りをしてきました。

 

 

生きづらさを抱えた私は、自分の欠点を直すことを一生懸命にしてきました。

 

例えば私は人と関わることが苦手です。

が、それに気づこうとせずそこから目を背け続けてきました。

 

その結果社会人になってからずっと接客・営業の仕事をしてきました。

 

自分の短所(人と関わることが苦手)を認めないまま、

「みんなは楽しそうに人と話をしているのにどうしてわたしはできないんだろう?」

そんな劣等感を抱えながら、できない自分を責める毎日。

その欠点を直すためにいろいろな努力をしました。

自己啓発本を読む。

→読んで実践。そもそも人に興味がなく、あることないことお世辞をいう自分が嫌になり自己嫌悪に陥りました。

 

お客さんからの飲み会の誘いに参加する。また、頼まれてコンパニオンのまねごとをする。

→これが一番地獄でした。飲み会での盛り上げ方もわからない。声も小さいし声も低いので、「何を言っているのか聞こえない」と何度も言われて・・。本当に地獄でしたね。人生で一番楽しくない時間でした。

 

それでも、周りを見ているとみんなは楽しそう。

みんなができているのに私はできない。

ああ、やっぱり自分がおかしいのだ。もっとがんばらなければと。

地獄のループです・・。

 

今ならわかります。

環境があっていなかったんです。

自分の特性を生かせるところではなかった。

 

魚なのに、陸の上で生活しようとしていたんですよね。

ええ、生きづらいはずです。

よく死ななかったと思います。

 

できないことをできない。

そう気づいて認めてあげていたらよかったのに。

 

「どうしてみんなと同じことができないんだろう」じゃなくて

 

「ああ、私って人と関わることが苦手なんだな。そうか、じゃあどうしようかな。自分にできることはなんだろう?話すことが苦手なら、人の話を聞く方に力を入れてみようかな?それか文章を書くのは苦ではないから文章を書いて顧客に配ってみるとか?いや、それならいっそ、パソコンのスキルは割と褒められていたから勉強して違う職場で、あまり人と関わらない仕事をしたほうがいいかもしれない。」

 

そう、短所を短所として認めて、自分のできそうなことを考えて前に進む。

他人と比較して、ダメだと自分を責めるよりもそちらのほうがよっぽど楽に生きられたと思います。

 

それを、私はしてこなかったんです。

いや、馬鹿ですよ(笑)

できないことを、できないと認めることが怖かったのもあります。

できないと認めることが、逃げと思われるかもしれないし。だってみんなできているのに私だけできないのは努力不足って思われたら?実際そういわれたし。

他の人と違う方法を考えるなんて、それこそ邪道といわれるかもしれないし失敗したらどうしよう。

自分らしいやり方=自分らしい生き方をするのは怖いというのがこれですね。

 

 

 

 

できないことをどうしたらできるようになるのかの努力の方法を間違えていました。

自分の欠点を武器にする方法を考えて実践したほうがよかった。

そうしたら、欠点が武器に変わり自信もつく。

ああ、このやり方であっていたんだ。やるじゃん私!

そしてそれが、自己肯定感につながっていく。

 

できないことにがむしゃらに一直線になるんじゃなくて、ぐるっと回って違う角度からみてみるということをすればよかった。

だって欠点が武器になるって良いですよね。

できないことをできないままにするよりも、「その欠点知ってますけどもう対策してあります」といったほうがなんだか強い。

某忍者漫画のNARUTOの誰かも言ってました。

「弱点を武器に変えてきている。奴は強いぞ。気をつけろ!」って。

木の葉に侵入してきた紙使いの人にそう言ってました。(名前忘れた)

 

話すのが苦手だから聞くスキルを学んで、話しやすい人になる。

料理が下手だから、美味しいご飯があるお店を知ることができるし、お手軽調理法を知ることができる。

太っているから、体型カバーするファッションの仕方や、ダイエットの仕方をたくさん知っているかもしれない。

過去にいじめられたり辛い経験をしたからこそ、今困っている人のために何かをしてあげられるやさしさがある。

お金がないからこそ、お金がある人がしらない日常の幸せに気づくことができる。

 

この考え方最強だと思います。

まずは、自分の欠点を認めてみましょう。

 

 

 

 

焦る・・でも進んでいる

習い事に通っていますが、その中で私が一番できない生徒です。

 

 

昔はとにかく安心しないと落ち着かない、グループの中で一番下になるなんて嫌だと思っていました。

今でもありますが、少し落ち着いてきました。

 

 

私は昔営業の仕事をしていました。

会社の中で一番営業の成績が悪いのはすぐにわかります。

成績の一覧表が貼りだされるからです。

だから、みんなと比べて自分がどの位置にいるのかということが丸わかりでした。

 

私がいつも気にしていたのは、一番成績の悪い人でした。

自分よりも下の人がいる、まだ大丈夫だと安心できるから。

(本当は、もっと上の売り上げのいい人のところをみていればいいのに、自分が安心したいから底辺ばかり気にしていました。)

 

でも中間発表で底辺だった人が、最終締め切りで自分よりも成績があがることもしばしばありました。

そうなると、今度はその人じゃなくて自分よりも成績の低い人は誰か?と探して、自分は最下位じゃなかった、よかったと安心・・・。

 

そんな毎日を繰り返していました。

 

 

毎月成績は最下位ではなかったけれど、いつ自分が最下位になるんだろう。

自分が見下している人に抜かされたらどうしようという不安を感じていました。

毎日毎日、落ち着きませんでした。

安心するために、見下していたのに。

 

 

どこの職場でも、習い事でも自分が一番ダメな奴になるのは許せませんでした。

 

だからそのうち仕事ができるふりをするようになりました。

 

そうすると人になにかを教えてもらうことが怖くなりました。

聞いて、「今更そんなことを聞くの?」とバカにされるのが怖いから。

ミスをするのも怖くなりました。

ミスをしても、謝らないということもありました。謝らなかったら、朝礼でそのことを追求されたこともあります。当たり前ですが・・・。

ミスをしたのが自分でも、謝ったら怒られて馬鹿にされるから、怖かったんです。

最低ですよね。

 

それはどうだろう、と人に意見を言うのも怖くなりました。

だって、否定されて傷つくのが怖いから。

そんなアイデアしか出せないの?そんな考え方はお門違いなんじゃないの?といわれるかもしれないのが怖かったから。

 

いや、本当にクズですよね。そのくせ、「あの人(最下位)がいるから大丈夫。」って自分のメンタルを保っていたんですから。

 

よくこんなので、働いてきたと思います。

ミスも否定も最下位も怖いから、自分を仕事のできる人としてふるまうのはとても滑稽でした。

なんて勘違い野郎だと、思います。

プライドでがちがちに固めてました。

弱み(ミス・最下位・否定)を見せたら攻撃される、見下されると知っているから。自分が今までしてきたように。

 

そんな私に、悪口を言いたい人の気持ちもわかります。

わかりますが。

 

そうすることでしか、あの時の私は生きてこれなかったんです。

そうでもしないと、全員にバカにされる、馬鹿にされるのは怖いと思っていたんです。

私なりに考えてその方法しかなかったんです。

 

あの時の私は頑張って生きていた。

頑張って、会社に通い悪口を言ってくる上司や同僚に、怒鳴ってくる先輩に対抗していたんです。

上司の声をきくだけで怖くて手足が震えて、動機もする時期もありました。

それでも、そうすることで自分を保っていました。今ならわかります。

 

だから、過去の自分を責めるのはやめようと思えました。

 

もちろん、すぐにはそんなクズの過去の自分を許すことはできませんでした。

 

なんてクズ。

よくそれで今まで関わってきた人、我慢してきたなって。

自分の行いが恥ずかしくてクズ過ぎて、嫌になって泣いていました。

恥ずかしい恥ずかしい、こんな自分消えてしまえって。

 

 

でもそれを、すべて受け入れた時に

「ああ、私って結構頑張って生きてきたな」って、心の底から思える。

自分のことがとても可哀そうで、愛しく思えました。

 

自分の中の大嫌いな部分も恥ずかしい部分もクズな所も全部、受け入れるのはすぐにはできません。

私は中学の頃から生きづらさを感じて、やっと最近自分らしく生きようと思えたのでもう20年以上自分と戦ってきました。

気付くの遅すぎだろって思う。本当に。

今でも受け入れたくない自分と葛藤しながら日々を過ごしています。

それでも今が人生で一番生きやすい。

 

なので時間はかかるのは当たり前。

全然変われない、何にも変わっていない、成長していない・・と思うときもあると思います。

けれど下には私がいるので安心してください(笑)

20年以上かかっていますから。

大丈夫です。

 

 

 

アタリとハズレ

 

他人からの言動、行動にもやもやしてずっと考え続けて自分のせいにしてしまうことはありませんか?

 

私は自分の力だけでは選べなかったことを、ハズレと呼んでいます。

 

 

例えばせっかく新しいテレビを買ったのに、すぐに壊れてしまったことがありました。買ったテレビが、たまたまハズレ。

 

電気屋さんに電化製品を買いに行って、わからないから聞いた店員さんが、あまり熱意のない人で他店を進められたりしたこともあります。そのあと、違う店員さんに聞いたらちゃんと説明をしてくれましたが。

最初に話しかけた店員さんがハズレ。

 

車を運転していて、時間がないから近道をしようとして普段通らない道路を通りました。しかし工事中で余計に時間がかかってしまいました。

近道をしようとした道が、ハズレ。

 

 

本の返却に図書館に行ったら、よそのイベントの関係で図書館の駐車場まで満杯で車を止められませんでした。なのでそのままUターンして帰ってきたことがあります。

行事とかぶったその日がハズレ。

 

最近の一番のハズレは、電話でした。

 

この間、市役所に電話をしました。

 

相手が電話に出た時点で、

「あ、これはハズレだな。」と悟りました。

案の定、ハズレでした。

 

(電話対応は丁寧にすべき、という思い込みが私の中にあるのでそう感じたのもあります。

全員が全員、丁寧な気持ちのいい対応をするべきという他人への期待、常識が私の中にはあるからますますハズレだな、と思ってしまったのかもしれない。

 

けれどもやっぱり、みんながみんな、心が健康な状態で生きているわけではないのだから。

市役所は、生活に関する悩みや不安を抱いて通う人だっているのだから。

そこを考慮して、対応してほしいと思いました。)

 

 

自分では選べないハズレにあたったときにどう考えたらいいのだろう。

 

 

 

決して、自分一人の責任ではないのは明らかなんです。

 

だって、自分だけの問題で起こることではないのだから自分を責めても意味がないんです。

それなのに、「あんな不良品を買うなんて自分はついていない、馬鹿にされているのか?」と思ってしまったり。

 

電気屋さんの熱意のない店員だって、「私に説明しないで他店をすすめるなんて!私に買うお金がないと馬鹿にして真面目に取り合わなかったのかもしれない!」と、自分に原因があるからそうされているように思えてくるんです。

 

市役所の電話の人だって、「私の話し方、声のトーンから察して、私のことをめんどくさいやつと思って攻撃するような言い方をしてきたのかもしれない!」と、自分がまるでダメな、人に迷惑をかけるような人間に思われているのかもしれないという妄想が起きてくるんです。

 

 

でも相手が、工事中の道路だったり、イベントで入れなかった駐車場だったら?

「あの道路とあの図書館は私を馬鹿にしているから工事をしたりイベントをしているんだ!」なんて思わない。

 

人間が相手の時だけ変な妄想をして、馬鹿にされている、弱い自分を作り上げてしまうんですね。

 

人の目を気にしているから。

どう思われているのか、馬鹿にされたと思うのは目線が他人に向かっているからだと思うんです。その人に言われた、態度言動だけをみているからそうなる。

 

工事中の道路、イベントで満杯の駐車場、このときの目線は自分に向きます。

 

じゃあ、熱意のない店員さんだったら、その人に言われた自分でなく相手の方へ目を向けてみます。

違う店員さんに聞いたらちゃんと答えてくれた。

だとしたら、あの人はやるきがなくて、自分の仕事に熱意をもてなくて、平日に電気製品を買いに来た私に嫉妬したのかもしれない、と。

自分はここで仕事をして帰りたいのに、自分よりも若い女が電化製品なんか買いに平日来やがって、という風に。(想像です。)

 

壊れたテレビも、電話をして修理してもらいました。ちゃんと対応してくれました。私の想像の中の、「私を馬鹿にしているから壊れたテレビを押し付けた。」という妄想は違いました。

 

市役所の電話の対応も、私にだけ向けられたものではないのではないのだと思ってみます。

もしかしたら、面倒な仕事を上司に押し付けられている最中だったりしたのかもしれない。

家族と喧嘩をしたり、私が電話をする前に来た人が彼女を不機嫌にしたのかもしれない。

自分にはわからないことを聞かれて、ムッとしたのかもしれない。

そう考えると、私のせいではない。

私のせいもあるかもしれないけれども、ないかもしれない。

 

相手にも、問題がある。

相手の問題。

 

 

そう考えると、少しだけ自分を責める気持ちが収まってくるのです。

 

自分の中から目線をハズして、他人の言動のその奥へ。

するといつもとは違う世界が見えてくるかもしれない。