好かれるのをやめたことによって変わったこと
何回も書いていますが、好かれるための行動をやめています。
以前は、なにも考えずにただのロボットのように行動していました。
目の前に食事が運ばれてきたら、たとえどんな状況(満腹だろうが)せっせと口元に食事を運ぶような感じでした。
機械的に仕事をこなし、なんでもかんでも目に入ったものはこなしていました。
なんでもかんでもやるので、やるのが当たり前になっていたことなど知らずに。
いつもたまに手伝った人がなぜそんなに褒められるのか?認められているのか?
私はこんなに頑張っているのに!!
と、不満でした。
ドロドロした感情であふれて、でもあいつみたいに私もみんなに感謝されたいからまた同じように仕事をこなす。
運ばれてきたものを、目についたものをこなす。
でも誰も褒めてくれないから、近くにいる素行の良い人、好かれている人の真似をしてみる。
でも、まったく変わらない。
むしろどんどん自分が自分じゃなくなっていって苦しい。
家に帰ったらぐったり。
そんな状態に嫌気がさして。
パンクしそうになって。
好かれるためにやっていた『いい人』をやめました。
手伝わない。
嫌いな人、手伝いたくない人には手を貸さない。
誰かが投げた質問を、誰かが言うまで黙っている。
笑いたくないときは笑わない。
自分の作業に集中する。
私がやらなくても誰かがやる。
私がやりたいか、やりたくないか?
快か不快か?
で選ぶ。
それともう一つ。
他人と比べていたからこんなに毎日苦しかったんだなということに気づきました。
人と比べないというのは知っていたけど、
まさか自分が人と比べているとは思っていなかったので、ハッとしました。
思えば、そうなりたいと人の真似をしていた時点で人と比べていました。
真似をして、「あの人みたいにできない。同じ結果にならない。」と落ち込んでいました。
これって、人と比べているからですよね。
なので、自分の快不快で判断して、行動しています。
するとどうなったのか?
簡単にいうと、人に興味を持てるようになりました。
相手との距離が、離れたという表現がいいかな。
相手に好かれようと、じりじりよっていくスタンス?評価待ちでなく、相手と自分の間に線引きをして、相手を一人の人間として見ている感じ。
私の反応に、相手がどう反応するのか?
それが今は少し楽しいです。
昔は、それが当たり前にできていたのに、離婚を機にできなくなっていたんです。
人間不信によって。
まあ、不倫されて、元旦那が私が悪いというような内容を私の職場のクソ先輩に吹き込んで、うわさ好きのクソ先輩はそれをまた尾ひれつけて全員に言いふらすという。
しかも、元旦那と離婚した後、わざわざ「ショックかもしれないけど、この間〇〇(元旦那)若い女の子(不倫相手)とご飯食べてたよ」と電話してきた。
まったくもって気持ちもないから離婚したのに、なぜそれをわざわざいうのか?
その神経が計り知れなくて。
でも、私が悪いから離婚したというような話は広まっていてとてもそれがショックで、そこから一気に人間不信が高まった(笑)
私のこと、そういう噂一つで片付けるような人たちだったんだ、っていうそっちのほうがショックだった。
もうそっからは地獄。
人の目は見れないし、人に好かれるための行動をするようになってしまってもう散々。
すべてが自分のせいという思い込みと、みんなが自分を馬鹿にしているという妄想にかられ、ちょっとしたことで「わたしのこと馬鹿にしている!」ってなって本当に・・・・周りにいた人大変だったろうな。
今の職場なんて、毎日誰かの悪口をいっているから常に自分のことを言っている!って怒鳴り込んでやりたいとかそう思い込んで、相手に対して冷たくするとか。
今もやるけど。
まあ、人間どこかでつまづくけれども、やっとここまで回復してきたなと思います。
自分がただの凡人だと気付けたことも大きい。
怖いから、ずっと虚勢を張っていただけだったので。
好かれるのやめたら、ただの私が残る。
快不快で行動しているので、挨拶かえされなくても「私も気に食わなかったりしたくないときはしていないから別にいいか」と余裕ができた。
だって私もしているから。
以前は、挨拶返されないだけで「わたしの言い方が悪かったのかな?なにかやらかしたかな?」とか考えていた。
それがなくなった。
したくないならしなくていいし本人の自由。
好かれるための行動の時は、挨拶はするもの!と。
まだまだ先は長いけれども、昔のように人に興味を持てるようになったことは今年一番の成長だと思います!
今日も一日お疲れさまでした。