自分がそうなら相手もそうだと思い込む勘違い
苦手な子と話しました。
なぜ、こんなに苦手な子と頑張って話すようにしているかというと、苦手な子=若い子なのでこの先どうしても若い子にはお世話になるしかない。
だから、克服しようと思ったんです。
一番初めにあった恐怖(怒鳴られる殴られる)は感じないようになりました。
ただ、頑張ってコミュニケーションをとったあとは吐き気?みたいな、少し不調を感じました。一番最初なんて手が笑えるくらい震えて、深呼吸するためにトイレに逃げました。話し終わってから緊張がくるんでしょうか?
あまり話は盛り上がりませんでしたが、聞いたことには答えてくれる。
会話が成り立つ。
それだけでとりあえずよかったです。
もしかしたら、裏で何か言っているかもしれないけれど私には聞こえてこないし、物事のいい面だけ見ようとしているのでそこまで考えないことにしました。
雑談をする際、他の人の力も借りました。
第三者を介入することで話がしやすくてよかった。
これにはとても助かりました。私が苦手だということをその方は知っていたので協力してくれたのかもしれません。
とても助かりました。
こうやって、小さなことで人に助けられて生きていくんだなと実感しました。
また、今まで怖くて関わらないようにしていた私が最近絡んでいくようになったにもかかわらず、その苦手な子たちがちゃんと対応してくれるということにも感謝でした。
職場の先輩、ということもあるかもしれませんが反応してくれるのがありがたいなと。
なぜなら私は、嫌いと思ったら避ける人間でした。
目も合わせない、「嫌い」という感情がでてしまって答え方もぶっきらぼうになってしまうような嫌な奴でした。
これと同じことを、何回か生きてきてされたこともあります。
「ああ、この人は私のこと嫌いなんだな」と思うと悲しくなり、私もその人に対して同じような態度をとって対抗?することもありましたね。
まるで、「お前だけが嫌っているんじゃないらな!」っていう復讐心。
本当は悲しいのにそうやって自分の気持ちを隠していました。
今まで、人はすぐに他人のことを嫌うものだと思っていました。
もちろんそう言う人もいるでしょう。
些細なことで失望されたり捨てられるんじゃないかと思って生きてきました。
例えば、友達との待ち合わせに遅れたりlineの返事を何日も返さなかったり、そんなことで捨てられるのでは?と恐れていました。
おそらく、不機嫌な母親の顔を窺って生きてきた後遺症でしょうね。
だからすごく緊張、気を使っていました。
食事の際も、この食べ方は大丈夫か?今の発言は大丈夫か?など。
なんだかごちゃごちゃしてきたけれど、人は嫌なことがあるとすぐにその人を嫌いになると思い込んでいました。
私がそうだったので。
多少の嫌なことでも、人をすぐに嫌うことはないんだなと思いました。
自分と同じことをみんなも思っていると思っていたので、ずっと勘違いしておびえていました。
やっぱり私の常識は他人の非常識ですね。
明日で連休も終わりですね~。
今日も一日お疲れさまでした。