言い方を変えてみる
嫌われる
好かれない
この言葉にずっと振り回されて生きていました。
嫌われる
好かれない
こうなりたくなくて、常に誰かに好かれるように頑張っていました。
けれど、自己肯定感の低い私の人に好かれたいという言葉の意味は
人の役に立ちたい
ただの承認欲求の塊の人間という意味でした。
最近、仕事で不特定多数の人間と関わることがめっきり減り、中での仕事が多くなりました。
不思議なことに、気持ちが安定するようになりました。
いろんなところへいって、いろんな人と話すという営業に近い仕事は長年続けてきましたが、自分には合わないのかもしれないと思うようになりました。
人手が増えて、仕事がなくなったおかげで今の社内ニート的な立場を築けることができてよかったです。
それでも、やはり苦手な人間はいるもので。
今日もちょっと嫌な気分になり「ああ、嫌われた」といつものように考えていましたが。
ふと、思いました。うまく表現できるかわかりませんが。
そんなに嫌われるって、そこまで中のいい人でもないのにそんな大層な言葉を使うほどかな?
だったら
「ご縁がない」
「今はその人と合わない時期」
「相性が合わない」
のほうが適度に距離が保たれていい感じ!ということに気づきました。
ご縁とか、合わない、相性が・・・って、どうしようもないことも含まれています。
スピリチュアルではないですが、運とか天命とか
自分だけではどうしようもないことが絡んでいるからどうしようもない。
あっさりな感じがしませんか?
嫌われている
好かれていない
だと、自分に非があるのでなんとかしなければならない!!という「私が頑張る!」というちょっと暑苦しい、もとい辛い感じがしませんか?私は辛かったです。
でも確かに、人の心はどうしようもないし
見た目順調そうでも大変な時期の人には余裕がないだろうし
幼いころはわからなかったことが大人になってわかるみたいなことって、多々あります。
なので、これからは
「合わない」
「ご縁がない」
と、まるで他人事のように思うことにしようと思いました。
自分のメンタルを保つためには、こういう考え方一つから自分なりの考え方整え方を一つ一つ積み上げていきやすくしていくのだぁとしみじみ思いました。
何でもかんでも自分のせいにして考えていたら、本当に人生あっというまに終わる気がします。
嫌な人のことを考えたて休日をすごしていたら、あっという間に夕方なんてこともざらにありました。
そんなこと考えるよりも、楽しく自分のことだけ考えて過ごすにはどうしたらいいのか?を探しながら自分なりのルールを作っていくのが年を重ねるということなのかもしれません。
年の功ってやつですね。
最近、雑談でプライベートなことを聞かれることが多いのですが、自分は信念とか自分のことを話すのが本当に苦手ということを知りました。
人に話せるような趣味もこだわりもありません。
純粋にこれが好き!というものもありません。
人に話せるとしたならば、「このラインまで達しないと人になんて話せない」という完璧主義なところも話ベタの原因になっていますが・・・。
ずっと逃げ続けてきたツケがまわってきたのだと今日も実感・・・・。
今日も一日お疲れさまでした。