子宮筋腫で入院してみた~前編~
4年前から、生理痛とPMSに苦しみ始めました。
1年の半分が常に調子が悪い感じ。
生理が来る前は
眩暈と吐き気。
腹痛はお手の物。
これが一か月に半分。
生理が終われば次は排卵痛。
肩と腰が痛い。
と、そこまではなんとか我慢できていました。
ですがある日のこと。
その日は夜用ナプキンを1時間ごとに交換しても間に合わず、さらにその後入浴したお風呂が経血でピンクに染まりました。
ありえない量の経血・・・。
死ぬ。
生理で死ぬ。
この時本当にそう思いました。
そこからわたしは当時通っていた婦人科を変え、
新たに変えた婦人科で生理を止める薬を貰いました。
(変える前の病院では、ミレーヌという治療法を毎回ごり押しされうんざりしていたし、しかたないねとしかいわれなかった)
ただこの薬は半年間しか使えないので、半年後にはまた普通に生理がくるとのこと。
筋腫もあるので、半年後にはまた鎮痛剤をつかいながらだましだましやっていくしかないと言われ、即座にわたしは筋腫をとる手術をすることを決めました。
(というか、鎮痛剤すらきかなくなっていたからです)
吐き気と息をするのも苦しいほどの痛みをまた???
耐えられない!
わたしはまだアラフォーなので、閉経するまで長くても10年少し。
10年毎月生理がくるとしたら、
10年×12か月で、短くても120回は地獄の苦しみを味わうことになる。
120回とはいえ、その前後にPMSと排卵通もある・・・。
わたしは月の半分は体調悪いから、10年の半分、5年は体調が悪いということ。
無理!絶対無理!
幸い出産の予定もない独身なので、リスク(妊娠できない期間があるなど)などお構いなしで自分の体の楽をとりました。
そんなこんなで、手術のできる病院に紹介状を出してもらい、入院日が決まりました。
~入院前の説明~
・内膜に筋腫がある。
・手術は、腹腔鏡手術で筋腫をとるとのこと。
・術後は、癒着を防ぐために避妊リングをしばらくいれること。
入院一日目(手術前日)
AM8:30
入院する前にPCR検査。(鼻に綿棒いれられ痛かった)
病院内で結果が出るまで待機。
PM0:00
結果は陰性。
病棟へなかなか案内されず・・・。
看護師さんが謝りながらやってきて、やっと病棟へ移動。
4人部屋に案内され、すぐに麻酔科の先生から手術の説明と、看護師のバイタルチェック。
昼食後は、医師の診察と、手術の確認など大忙し。
あと、おへその掃除をしてもらいました。
おへそからも器材をいれるから、へそのごまがあるといけないということ。
ゴッソリとれました(笑)
その後、昼食後渡された、酸っぱい下剤を1時間かけて飲む。
効果はなかったけどおいしかったです。
PM6:00
夕食。
量が多くて全部食べ切れない。多すぎる。
PM9:00(消灯)
麻酔科から渡された術前の薬を飲んで、明日の手術の為に早めに就寝しました。
入院二日目(手術当日)
AM6:00
爆睡しました(笑)
看護師さんがきて、バイタルチェック。
体をふくタオルと新しい病衣を渡され、ごしごし体を拭いて下着も新しくして着替えました。
AM7:00
浣腸され、トイレで苦しむ。(お腹を下したときと同じ感じ)
その後点滴用の針を刺され、点滴開始。(ブドウ糖とか)
時間がくるまで、ごろごろしていました。
PM0:00
いよいよ手術室へ。
向かう途中に母と対面。
(全身麻酔なのでなにかあったときのために付き添いが必要だったので、母に頼みました。)
手術室につくと、手術台(ふかふかして温かい!)に腰かけたわたしの服を看護師さんが3人がかりで脱がしにかかってきましたが・・・。
冷え性対策できていた私の腹巻が、どうにも脱げず・・。脱がすのに時間がかかり看護師さんが焦っていました・・・・。
看護師「これ、(腹巻)下から脱ぎましょう!」
わたし「すいません」
そしてすっぽんぽんにされ、手術台に寝かされ・・・
「子宮の手術なのに、なんで肺のレントゲン写真うつしてるんだろう」
と思いながら、私の口に酸素マスクがあてられました。
医師が、酸素マスクを口にあててきて
「吸って~吐いて~」というのに合わせて3回呼吸したあと息ができなくなり。
体の自由がきかなくなりました。
あっという間に、意識がなくなりました。
PM4:30??
名前を呼ばれて目が覚めると、ガラガラとベッドで運ばれている様子。
母親の心配する声が聞こえましたが、うなづくことしかできませんでした。
術後(一番つらい時間。同日午後5時~翌日朝8時ごろ)
の苦しみを味わう
ICUに移り、何時に目が覚めたかはわかりません。
時計もないし、本当に辛い時間だったので記憶があいまいです。
なので箇条書きでパパッと状態と、流れだけを書きたいと思います。
・尿管カテーテルが入っているので、気になって仕方が無いし、若干痛い。
・上腕が痛くて動かない。
(手術中頭を下にする為、体を固定するために腕などをバンドで固定されるために、筋肉痛がおこる)
・体制変えたいけれど、いろんなコード(心電図・酸素マスク・麻酔などの点滴・尿管カテーテル・足にはフットマッサージャー)があるから難しい上に、お腹痛いから腰を浮かせるのも大変。
そもそも自分の体がどうなっているのかもわからない。
(体制変えたくなるたびにナースコールを鳴らす)
・寝たいのに眠れない。←これが一番ひどい
・急に襲ってくる吐き気。4回くらい吐く。(麻酔による副作用)
・吐くのも大変。吐くものが無いから何も出ないけど吐く。
吐くための体制をとるのも大変。寝ながら吐けないから横向きになるしかないけどそれも大変。
気をきかせて背中をさすってくれた看護師。ありがたいけどあますます吐き気が悪化。
・本当に何をするのも大変。
・エコノミー症候群防止の為、足にフットマッサージみたいなものをつけているけどそれも邪魔で眠れないしうるさいしで体制変えづらい。
・自分で痛み止めを打つシステム。地味に楽。
・ナースコールと痛み止めを打つボタンが近くにないと安心しない。
・ティッシュを遠くに置いていった看護師。(吐いた後口を拭きたかった)
・夢の中で、昔亡くなった祖母と白い着物を着た人がこたつに入っている夢を見た。
・首が痛くてしょうがない。(枕が合わない)殿さまの高枕ぐらい高い。
・眠れないし暇なので歌うしかない。
・熱は38度くらい。
この時間に思ったのは、動けない体を、看護師さんが下の世話をしたり嘔吐の始末をしてくれたりしてくれたこと。
看護師さんって本当にすごい仕事だなと思いました。
T字帯の下のナプキンを変えてくれたり、おしっこを捨ててくれたり・・・・。
人は一人では生きていけないんだな。
我慢して、迷惑ならないように生きるのは無理なこと。
勝手に一人になってはいけないんだなと、思いました。
入院三日目(術後1日目)
AM6:00
オフにしたはずの目覚ましアラームが、鍵付き引き出しの中で騒ぎだしたので。
看護師さんに止めてもらい、スマホ見てもいいと言われたので、YouTube見ながら気をまぎらわせることができました。
落ち着いてきたころ回診で、5人くらいスタッフ?が来てお腹の傷を見に来たけど、あれは恥ずかしかった。(若いお兄さんとかいるもん恥ずかしい)
服?は着ているとはいっても、ほぼ裸にちかいですからね。
夜勤の看護師さんたちがわざわざ挨拶しに。
電動ベッドの動かし方を実演してくれた5分後。
電動ベッドが動かなくなりまた再会(笑)
看護師「さっきまで動いてたよねぇ」
わたし「ですよね」
AM10:00??
一般病棟に移動。
尿管カテーテルと、フットマッサージャーから解放されました。
お昼も絶食でしたがお腹はすかなかったです。
点滴でブドウ糖やら、抗生物質などを点滴していたからでしょうか。
まあ、直前まで吐いてましたしね。
相変わらず上腕と、挿管してたせいで喉が痛いことに気づきました。
話すと喉が痛くて、いつもより声がでなかったです。
また、お腹にガス注入したため、子供のお腹みたいにふっくらしていました。
寝不足で寝たいけれど、やたらとトイレが近いのと、同室の人がうるさくて眠れませんでした。
(看護師さんが注意してくれた)
PM6:00
久々の夕飯。
汁物みたいなメニューばかり。(重湯とそばつゆ?の汁みたいな)
碗ものの汁が、めちゃくちゃおいしかった。
死ぬまであの美味しさは忘れないくらい美味しかったです。
PM9:00
寝たいけれど、ベッドがゴリゴリに硬くて、腰も痛いし枕も固くて眠れませんでした。
傷口が痛いので、手すりを使いながら体を起こしたり、体位を変えたり・・。
(腹筋使うと痛いのです。)
看護師さんがしょっちゅう様子を見に来てくれました。
熱は38度くらいありましたが、全然そんな感じはありませんでいた。
次へ続きます。